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ぼくのおじさん(後編)

今回も実話に基づいたフィクションの続きです。

【前回までのおはなし】

若田摩衣子が頼まれた介護施設探し。親族会議を経て必要書類も提出して一安心かと思いきや……。

【登場人物】

若田摩衣子…ピエロ

母…若田摩衣子の母

ヒツジおじさん…脳梗塞で倒れ森の病院に入院中

ライオンさん…ヒツジおじさんの入院手続きをした指定代理人、トラおじさんの婿養子でヒツジおじさんの義理の甥

トラおじさん…ヒツジおじさんの一番目の兄

クマおじさん…ヒツジおじさんの二番目の兄

キツネ氏…有料老人ホーム「町の里」施設長

タヌキ氏…老健「森の園」相談員

【見どころ】

ラスト5分のどんでん返し

(ヒツジおじさんから介護施設探しを頼まれた若田摩衣子は、ライオンさんの指示による親族会議終了後、老健「森の園」タヌキ氏と保留になっていた入所手続き及び退所に向けて今後の打合せをした。)

2月27日、親族会議の結果をまとめた覚書(案)をライオンさんの勤務先にFAXし、介護保険証のコピーをFAXしてもらうようお願いしました。

 勤務先と言っても個人事務所ではなく本当の職場だったので黒塗りFAX。PCメールアドレスは教えてもらえなかった。メールを避けたのはウィルス感染の恐れがあるからかもしれないが、プライバシーの問題とか私的利用とかが気になる。

ところが、ライオンさんから、早過ぎる入所手続きを指摘され、手続を白紙に戻した旨電話で告げられました。

3月1日、森の園タヌキ氏に電話したところ、前任者の同意がなければ手続きを進められないと言われ、私が本人の意思が第一だと言っても、聞き入れてはくれませんでした。また、ライオンさんから覚書に親族に対する3か月ごとの決算報告を入れるようメールがありましたが、ヒツジおじさん本人の意思を確認した上で報告する旨答えました。

翌3月2日、ライオンさん、クマおじさんに覚書と遺言書(案)を発送しました。 

3月6日、ライオンさんから修正事項と連絡事項という書面が届きました。それは、覚書(案)に加え、ヒツジおじさんの財産が尽きても親類一同に金銭等を一切要求しないこと、3か月ごとの決算報告をすること、ライオンさんが遺言書を作成した上での引継ぎとすることという内容でした。 

字句の修正程度ならば仕方ないが、親族会議の内容と整合性が合わない修正を求められても一部の意見では変えられない。そもそも覚書って何だ。私は一体何と戦っているんだ。

3月7日、ヒツジおじさんから母に電話があり、ライオンに自宅マンションを売却すると言われ承諾したが、部屋の中の楽器を処分されては困ると言ったそうです。

そこで、翌3月9日、母が電話でライオンさんにヒツジおじさんの楽器をそのままにしておいてほしいと伝えようとしましたが、言い終わらないうちにライオンさんはマンションの売却代金を一度ライオンさんの口座に入金する云々とおっしゃったので、母は何故ヒツジおじさんのマンションの売却代金をヒツジおじさん本人の口座に入金しないのか尋ねたそうです。併せて、覚書の修正についても、母が見解の相違を伝えると、激昂して一方的に電話を切られてしまったそうです。再度、母はライオンさんに電話をしましたが、内容を聞き取れないくらい大声で怒鳴りつけられ、乱暴に電話を切られてしまい、楽器について確たる返事は得られなかったそうです。

以来、ライオンさんは「激昂仮面のおじさん」と呼ばれている。成年後見業務でも親族に疎ましがられることはあるが、成年後見人は家庭裁判所から本人の利益を守る権限が与えられている。ヒツジおじさんの場合、判断能力が正常だったので、成年後見申立もできず手をこまねいているしかなかった。

3月10日、電話がつながらなかったので、ヒツジおじさんにメールで「森の園、マンション、遺言書、どれもヒツジおじさんが望まない限り他人は何もできないのですから、嫌なら嫌って言わなきゃダメです!」と送信しました。前日のライオンさんの発言がどうしても気になったからです。

3月11日、ライオンさんから、私が覚書の修正に応じないので森の園の転所手続きを白紙に戻している、また、戸籍謄本を返却しなければ横浜地方法務局に司法書士若田摩衣子の処分申請をするという内容のメールを受け取りました。森の園に再度電話をしましたが、私が行った入所手続きは手違いだった、前任者と話し合うようにとの一点張りでした。森の園の方針だとも言っていました。

司法書士の処分とは地方法務局による懲戒のこと。この時点で段々ワクワクしてきた。因みに、手違いで入所手続きをしたという病院の場合、苦情窓口は地方厚生局、保健所、都道府県であり、介護施設の場合、地域包括支援センター、国民健康保険団体連合会、都道府県である。

確かに、ヒツジおじさんからはっきりと退所の意思表示を聞いていない以上、森の園が現状維持を優先するのは致し方のないことと思います。そして、ライオンさんに生憎修正はできない、戸籍謄本もヒツジおじさんに確認の上返却する、引越しに協力してほしい旨メールしました。しばらくして、今度はヒツジおじさんからメールが届きました。ライオンさんにメールを見てもらった、覚書の修正に応じ戸籍謄本を返却せよとのことでした。昨日はメールに対する返信はありませんでしたが、この短期間にメールが打てるようになったのかと驚きました。その晩、母と、翌日、ヒツジおじさんの本心を聞くため森の病院に行くことを決めました。

3月12日、4度目の森の病院です。このままでは手続きが進まないので、ヒツジおじさんに再度意思を確認し、退所希望であれば、タヌキ氏の面前でその旨を伝え、クマおじさんからライオンさんに転所手続きに協力するよう促してもらうつもりでした。

クマおじさんもトラおじさんも、弟のヒツジおじさんが弱っているので引越しを本人以上に強く望んでいる。しかし、高齢のためライオンさんほどにはスムーズに動けない。通常の後見案件の場合、早ければ一週間で引越しできるのにもどかしい。

部屋は詰所のすぐそばで、ヒツジおじさんはベッドに横たわっていました。私と母が入ると、ヒツジおじさんはその姿勢のまま私たちの顔を見ました。どちらから切り出すかしばらく躊躇しましたが、先月の2月22日に入所手続きをしたが先に進まなくて困っている、今日はヒツジおじさんの意思を改めて確認に来た、もしも「ここを退院できればどこでもいい。」という希望が変わらないのであれば、森の園とライオンさんにはっきり伝えなければ進められないと告げました。

すると、ヒツジおじさんは「両方とも自分には言えない、申し訳ない。」とだけ答えました。私が「では私との転所手続きの委任は解消、今後はライオンさんに頼むということですね?」と確認すると「そういうことになるのか……。」とつぶやきました。

今さら言うのもなんですが、言葉からは真意はわかりません。ただ、ヒツジおじさんが何度も「すまない」と言ってくれたこと、それだけで私は報われました。また、ヒツジおじさんが脳梗塞の後遺症で利かなくなった右手でエプロンを身に着けようとしていたり、森の園のスタッフと笑顔で話したり、顔つきが明るくなっていたり、何度も気を付けて帰れよと言ってくれたりしたので、少なくともこの1ヶ月間でヒツジおじさんにプラスの変化が起きたと見ていいでしょう。少し前までは、険しい表情で見送りもしなかったのに、森の園の手厚いケアのお蔭でここまで回復できたのかもしれません。

こうして私はお役御免となったわけです。

今思うと、友人に囲まれ、住み慣れた森から遠く離れた町に移っても、今度は寂しさが募る日々だったかもしれない。突然の入院生活でつい私にも頼ってしまったけれど、先行して世話を焼いてくれたライオンさんの苦労を考えると、義理と人情の板挟みになってしまったのだろう。今回の教訓「終わりよければ全てよし」

一つだけ疑問なのは、2月22日の和やかな雰囲気から一転、何故あのような展開になってしまったのか不思議でなりません。今となっては、あの時に解散せず、ライオンさんとヒツジおじさんを交えて手続きをしてしまえばよかったのかもしれないと思います。

ともかく、几帳面なライオンさんのことですから、今後ともヒツジおじさんの財産をきちんと管理し、親族に対する3か月ごとの決算報告をしてくださるだろうと思います。これに懲りず、また親族一同で集まることができる日を楽しみにしています。

本ブログはメモとメールから書き起こした親族宛ての手紙がもとになっている。依頼を受ける時は背景事情をよく聞いてから、特に前任者がいる場合は要注意ということを再確認した1か月だった。横浜地方法務局からの処分はまだない。

おわり〉