· 

ぼくのおじさん(前編)

今回は実話に基づいたフィクションです。

【あらすじ】

若田摩衣子が頼まれた介護施設探し。それは簡単な依頼のはずだった……。

【登場人物】

若田摩衣子…ピエロ

母…若田摩衣子の母

ヒツジおじさん…脳梗塞で倒れ森の病院に入院中

ライオンさん…ヒツジおじさんの入院手続きをした指定代理人、トラおじさんの婿養子でヒツジおじさんの義理の甥

トラおじさん…ヒツジおじさんの一番目の兄

クマおじさん…ヒツジおじさんの二番目の兄

キツネ氏…有料老人ホーム「町の里」施設長

タヌキ氏…老健「森の園」相談員

【見どころ】

ラスト5分のどんでん返し


報告書

3月12日、私、若田摩衣子は介護老人保健施設「森の園」に入所中のヒツジ氏と面会した際に、話し合いの上、転所手続きほか一切の件に関する委任関係を解消する旨合意致しました。

つきましては、先月2月22日に行われた親族会議の結果の覚書についても白紙撤回とし、同日私がライオン氏から預かった下記のものをすべてライオン氏に返却致します。

①自宅マンションの鍵1本

②親族戸籍謄本等一式

以上

委任の解除は委任者の一方的意思表示のみで可能であり、受任者の意思にかかわらず他の者と交代させることができる。もちろん合意によっても解除は可能。もっとも、心の中で思っているだけでは委任関係は終了しない。

事の発端は、森の病院に入院中のヒツジおじさんを訪ねた2月5日に遡ります。その日、私は母とヒツジおじさんのお見舞いに行きました。その際、ヒツジおじさんから「ここを出たい。ここを退院できればどこでもいい。」と聞き、退院後の住まい探しを手助けするよう頼まれました。そこで、その場でヒツジおじさんに退院後の住まい探しに関する委任状を書いてもらいました。

森の病院にはナースコールがなかった。ベッドも電動ではなく自力で身体を起こすことは不可能。幸い見舞客が多く、外とのつながりがあったのが救い。実を言うと、ヒツジおじさんは「ライオンさんから離れられればどこでもいい」とも言っていた。

翌週2月12日に町にある「町の里」という住宅型有料老人ホームの施設長キツネ氏と

ともに森の病院へ出向き、インテーク(入所希望者との初回面談)を行いました。パンフレットと名刺も置いてきました。キツネ氏の見立てでは受入れ可能という感触だったので、そこで初めて入院手続きを行った指定代理人のライオンさんに、電話で、私がヒツジおじさんから退院後の住まい探しを頼まれており、これから会って説明できるかどうか、病院への橋渡しを頼めるかどうかを尋ねました。ところが、ライオンさんは隣町へ不動産購入のため外出中であり対応できないと断られました。

ここで、ライオンさんに対して事前の打診をしなかったのは、受入れ先が決まるまでは森の病院にもライオンさんにも黙っていてほしい旨のヒツジおじさんの指示があったからです。今思えば、ヒツジおじさんからライオンさんに私に任せた旨の話を通しておいてもらうべきでした。

翌2月13日、ヒツジおじさんから電話で森の病院に併設されている老健森の園に入所させられそうだと相談があり、森の病院に尋ねましたが、ライオンさんが書類上指定代理人である以上、第三者である私には手続きを止めることはできないと言われました。確かに、既に治療は終わっており退院の必要性があるが、独居は困難、他方で老健に空室がある状況ではもっともだと納得し、ヒツジおじさんにも、一旦は森の園に入所してから退所手続きを行う旨説明しました。さらに、電話だと都合がつかない時もあるのでメールを試みましたが、ヒツジおじさんからはメールはわからないので電話で頼むと言われました。

その晩、ライオンさんから電話で2月22日に親族間で会議を行うので、話し合う内容をまとめた覚書(案)を作成し、ヒツジおじさんの推定相続人にあたる3人の親族(トラおじさん、クマおじさん、母)に送付するよう指示がありました。帰宅後、案内状兼委任状、覚書(案)を作成し、翌2月14日に発送しました。

ライオンさんがヒツジおじさんの真意を知らないため親族会議にまで発展しているが、覚書とは百歩譲っていわゆるケース会議録のことと思われる。もっとも真意を知ったところで気分を害することに変わりはない。

2月15日、ヒツジおじさんは森の園に入所し、ライオンさんは町に移るのであればもう森の園には戻ってこられないとヒツジおじさんに最後通告をした旨を電話で私に言いました。

2月19日、ヒツジおじさんから「摩衣子を支持する、全力でやってくれ」と電話を受けました。

同じセリフを森の園とライオンさんにも言ってください。

いよいよ2月22日、親族会議の日です。出席者はライオンさん、ライオンさんの奥さん、クマおじさん、母、私の4人、欠席者のトラおじさんはライオンさんに委任する旨の委任状が届いていました。

11時30分に森の駅で待ち合わせの予定でしたが、その前に、ライオンさんはまず私と母をヒツジおじさんの自宅マンションに案内し、内部を見学させてくれました。部屋の中には、ヒツジおじさんの趣味の楽器がたくさん置いてありました。

その後、森の駅近くの蕎麦屋に全員集合し、親族会議を行いました。

ライオンさんからは、昨年11月にヒツジおじさんが脳梗塞で倒れて以来、森の病院の入院手続き、介護保険申請、債務整理ほか諸手続きを行ってきたこと、そこへ後から私がヒツジおじさんから委任を受けたと突然言ってきたこと、ヒツジおじさんの遺言書作成のために戸籍謄本を集めているのに母からまだ届かないこと、40年以上ヒツジおじさんの気ままな性格に振り回されて迷惑してきたこと、町に移転後、仮に財産が尽きても森の園に戻ってこられては困ること、私に引き継ぐことができて肩の荷が下りた思いでいること等をお話しされました。

私は、主にライオンさんから覚書(案)の修正指示を聞き取り、他の出席者からも意見を聞いてメモをとりました。そして、ライオンさんから自宅マンションの鍵1本、遺言書作成に必要だという戸籍謄本等一式を預かりました。

ひとしきり会議が落ち着くと、食事が運ばれ、ライオンさんは、新車や孫の写真を見せてくれ、和気藹々とした雰囲気に包まれました。

また、ライオンさんが預かっているヒツジおじさんの金銭から食事代や私を除く出席者に対して日当が支払われました。

遺言書作成に必要な戸籍謄本は遺言者と相続人との続柄が分かるもの。母の現在戸籍だけではヒツジおじさんとの関係はわからない。ライオンさんは電話で話したよりも落ち着いた印象。

会議がお開きになった後、皆で森の病院に向かいました。ヒツジおじさんと面会し、親族会議で私が引き継ぐことに決まったと伝えました。ヒツジおじさんは車いすの座面が痛いので座布団を買ってきてくれとライオンさんに頼み、その場で解散としました。そこで、私はそのまま森の園相談員タヌキ氏と面談し、タヌキ氏から現在入所手続きが保留になっているので、書類を書いてもらうよう促され、入所手続きを済ませました。因みに、事前に、前任者の同意につき一筆必要かどうか尋ねたところ不要との回答を得ていました。帰り際、もう一度ヒツジおじさんに会い「今度来る時は引越しの日だからね」と元気づけてきました。

前任者の同意と言うのは指定代理人の交代につき、前任者の同意を要するか、要する場合書面が必要かと言う意味。そんなはずはないのだが、念には念を入れて

。それでも落とし穴はある。